日曜日

朝の布団の中まだちゃんと目が覚める前、かってに頭の中で論点をおさらいして、見えた。昨夜、風呂上がりもぼーと考えていて、寝る前はちっとも見えなかったのに。。僕は、朝おきてすぐに分かることが多く、そうなってくるといい感じになる。ただし、(昨日の日記に書いたような)特異摂動に関連にした非自明なことが分かったわけではなく、非平衡統計の部分でミスをしていただけだった。実は、質的に同じことで混乱したことが数年前もあったし、10年前もあった。それを思い出しただけでもある。分かってみれば単純なミスなので、決して表にでることはない。(明日、伊丹君に説明するまで、いつものように僕の勘違いの可能性もあるが、今回は違うと思う。感触的に。)

見えたあとで鉛筆を持って確認する。しかしなぁ、最近だとKNSTやっていたときだと絶対に間違わないはずだが、しばらく空いただけで何というか「勘」が抜けていた。ある研究課題に没頭しているときの「ありとあらゆる角度から問題を見ている状態」と「ピントがぼけて問題が遠くにある状態」の差みたいなものだな。前者を発動しないと(自分としての)研究は面白くないが、そういう機会がたびたびあるわけでもない。

明日の特異摂動の講義で、パタン形成の話をして、「多重尺度法」を入れる。明日の後半部分の問題をどこまでやろうとと考えた挙句、結局、70年代の理解に止めることにした。僕が院生のとき、複雑な問題にアタックするために、(おそらく)最短計算法を理解していたが、まぁ、そういうのはマニアックだし、それをするならまだ講義でやっていない諸々をするべきだろう、、との判断からと、それだけでなく、今の僕だとそういう計算法にピントがあっていない、というのもある。(僕の博士論文は、「液晶の対流開始点近傍で広義流体効果が入ると欠陥の生成消滅によって維持される時空カオスが生じることを示した」という、修飾語がたくさん入った個別的な研究である。それを示すのに、そういう計算のプロにはなった。もちろん、計算そのものに核心があるのでないが。)