木曜日

昨日の続き:中学2年の2学期は、生き生きと頑張っている感じになっていたが、中学に入ったころはそうではなかった。中学入学時、140センチ弱の身長しかなく、虚弱でうじうじしていた。生意気で無邪気な気配は薄かった。ただ、中学に入るときに、「変わろう」と明示的に意識したことは覚えている。

中学1年の最初に目標を書いていて、「運動が苦手なので、クラブをがんばる」と宣言していた。これは大変難しかった。剣道3級というほとんど誰でも合格するようなことを2回も落ちた。さすがに2回目はずっと泣いていた。(日記では事実1行だけだったけど。)また、日記には露わに書いていないけれど、僕だけが分かることをいくつか思い出した。特に、練習が厳しくて脱走してしまい、キャプテンが家まで迎えにきてくれたこともあった。僕を罵倒してひきずって元に戻すのでなく、僕が帰れるように綺麗に仕向けてくれた。本当に尊敬できるキャプテンだった。(後に広島大学医学部にすすんだ。僕の中学からは2人目の国立大学入学者。)

全くボロボロだったけど、色々な人のおかでげ、ぎりぎりでついていった。それにしても、そこから中学2年の秋の状態になるのは不思議だ。背が伸びて体力がついてきた、というのもあるけれど、なにより、うじうじすることが減ってきた。無邪気さがストレートになった。そして、生意気になってきた。(ただ、3級試験2回不合格/脱走という最後方からきているので、単純な「生意気で無邪気」とは少し違うように思う。)剣道は分かりやすい競技で、試合に勝つか負けるかしかない。中学2年からは、学校内の日々の試合の記録も全部書いてあった。(今まで歯が立たなかった友達や先輩に勝てるようになってきて嬉しくなったんだろう。)その延長上に、昨日書いた、中学2年新人戦直前の様子になっている。

また、中学1年の別の目標で「勉強がんばって、クラスで5番以内、できれば3番以内になりたい」、とも書いている。小学校では順位がついてなかったし、分かりやい目標だろう。最初の試験で1番になったが、「順位」を気にした目標だと、すぐに点数が(みなと同じように)落ちていくし、実際にそうなっていった。よくある田舎の中学の「一番できる生徒」になりかけていた。全く運がいいことに、担任の先生が非常に熱意がある人で、教科書以外のこと(ブラウン運動など)を次々と教えてくれただけでなく、僕に対して、内に留まらないようにあれこれと言ってくれた。(その先生のことは、僕の書き物で2度ほど紹介させていただいた。)しっかり分かったわけではなかったけれど、とりあえず、「順位」でなくて「点数」を気にするようにした。

そこで、中学2年からは「定期試験の5教科500点満点で490点をとる」ことを目標として明示的に書いていた。勿論、学問的にはそれはどうでもよいことでゲームに過ぎないと今だといえるけれど、あの当時のあの環境では、そういうことくらいしか目標にできなかった。昨日紹介した昔の日記で、「中間試験を頑張る」とはその目標に向けてだった。実は、1,2学期は少し足らなくて悔しがっていた。で、中2の3学期に達成していた。(完全に忘れていた。昨日、日記を読み返して発見した。)[同時に2年の最後に校外試験を受けて惨敗して、そこから次のレベルの苦闘がはじまる。これが昨日の日記の後半部分のこと。]

中学時代前半のクラブで、できなくて脱走する状態から、それなりにできるところまでもってこれたのは後の人生で大きな自信になったと思う。学問生活でも大事になっている。研究って、最初は何も分からなくて、全くできないところから出発するから、できないときの精神的対応は結果に大きな影響を及ぼすと思うから。また、中学時代前半の勉強で、相対的参照系がないままに道をすすんでいく経験を積めたのも今の自分の生活には大きなプラスになっている。自分が何をしたいのか、というのが研究者にとって大事なことのひとつだと思うから。(まわりが○○だから、○○ですすめば、○○ができる、、という風に自分の位置を相対化してこなしていくのりは、おそらく研究者向きではない。)

いずれにしても、まわりの方々の(やわらかい)サポートをはじめ、タイミングが少し違えば、全く違った人生になっただろうなぁ。忘れていたありがたいことを改めて思い出した。ノスタルジーというより、(形式的なことでなく)真に感謝の気持ちで一杯になる。

よし、研究、がんばろうぜ。(まだ偏頭痛が少しあるけれど。)