水曜日

久しぶりの偏頭痛で薬を飲んだ。基本的に休み。成り行きで、中学時代の日記を出してくる。自意識過剰で生意気で無邪気で虚弱な子供だなぁ。中学1年の次女が中学1年の僕の日記を読んで笑いこけている。「何これ、「car で come home する。」って書いてある!!」英語勉強して嬉しかったんだろうな。学校に提出しないといけないものなので、私的なものは封印し、クラブ(剣道)関係と勉強関係と先生への文句からなっている。(そういう制限は公開の研究日記と性格が似ている。)自分にとってのひとつの山場は中学2年の秋だろうか。

中学2年10月3日:「いよいよ新人戦まであと2週間と5日、19日になった。この19日がいかに遠いか、もう毎日が苦しくてたまらない。しかし、この19日間は自分との戦いでもある。新人戦の1週間後には中間テスト。肉体的疲労、精神的疲労とも、非常に大きい。この19日間を有効にクラブ、学習両立して頑張りたい。」

基本、おなか壊して、熱を出して..の毎日なので、案の上、10月17日:「朝から少しからだがだるかった。クラブの時もめまいがしたり胸が気持ち悪くなったり、少し風邪気味と思う。新人戦もあと5日後にせまってきた。ここで病気したら今までのあの苦しい練習がなんになる。絶対に病気にならんぞ!これくらいの気合でいきたい。」

10月22日が新人戦(郡の大会)で、団体優勝。(地区大会といってもレベルは高く、団体決勝の僕の相手は、高校時代にインタハイ個人3年連続3位となった女性である。そのときはじめて勝って、それっきり2度と勝てなかった。)新人戦の優勝は、唯一の優勝経験だし、チームも個人もこれからいくぞ..というときでもっとも盛り上がった。

ただ、小さい学校なので、クラブと勉強の他にも、ブラスバンドトロンボーン)、生徒会(会長)、駅伝... と色々なことに一生懸命向かっていき、やがて消化不良になっていく。(これらすべてが中2の2学期。)体調もすぐに悪くなっている。クラブは途中で補欠になった。(日記によると、メンバー決定戦のときに熱を出したらしい。)勉強は、定期試験では無茶苦茶な点数をとるようになっていたが、山間部の学校で教科書が全部終わっていない科目もある、、という事実を2年の終わりの校外試験で理解した。そこから徳島県レベルへの追いつき方が分からない。(塾も参考書もなかったからねぇ。)

おたおたしながら、「目前のことを頑張る」とおまじないのように書いている。あれ...これって、今書いているのと同じやなぁ。。この夏は、色々と苦しく、偏頭痛の原因はなんとなく分かっている。今日、中2の秋にもっとも調子よくなって、その後苦しくなってあがいているのを読んでいるとなんだか元気になった。もちろん、結果を知っているから、というのもある。引退試合となった県総体の団体決勝は、(先鋒の)僕もチームも負けたけど、やりきったなぁ、、とすがすがしい気分で終わることができた。勉強も徳島県レベルに追いついて、存在すら知らなかった学校(徳島文理)にすすむことになった。

「自意識過剰で生意気で無邪気で虚弱な子供」が、新しいことにおたおたして、バランスをくずして、うまくいかなくて...。それでも、しんどい、しんどい、いいながら、バタバタしながら何とかしのいで次の新しい世界にいく、、ということを繰り返して、ここ(48歳)まで来ているような気がする。うーん。僕の場合、すべての原点が中学時代にあるような気がする。