土曜日

3月11日午後、来客が予定どおりに14:30に到着して、議論をしている途中で地震がきた。「ちょっとやばいかな。」と議論を中座。「本棚から離れた方がいいか。。」と離れたところで、本が落ち始める。本棚が歪みはじめたところで、倒れてきたらしゃれにならないので、廊下にでた。建物倒壊も頭がよぎったけれど、そんな激しいものなら、7階からだともう間に合わないし...と廊下のままにいた。落ち着いたので、部屋に入って、落ちた本の中で話の続きをする。で、第2弾がきて、これはちょっと尋常ではない。図書もちょっと酷いことになっているので確認してくれ、、という電話もあったし、話を途中にしてもらい、図書室にいって、その後で外にでた。

電気も水道もネットもそのままなので、被害という被害はなく、研究室にもどった。16:00から別のアポもあったけれど、それは(電車とまっているので)キャンセルになった。16:30頃に、学部長からの退避勧告が流れたけれど、交通機関が麻痺しているなか千葉に帰れるわけないので、無視して仕事をしていた。千葉の家にも連絡がとれた。余震が続くのが気持ち悪かったけれど、締切が近い文書もあったので、端末に向かおうとした。夕方、食事に出た。(普通に定食屋が開いていた。)土曜昼ごろまでの飲料と食糧を補給しようと思ったが、コンビニは人が凄くならんでいるし、まぁいいか...と研究室に戻った。

震源地近くの仙台とかは、その後どうなったんだろうな、TBSがネットにテレビを流していたのを見て、茫然となった。津波のことはその時点まで知らなかった。うー、と思ったが、ネットから離れて文書を書いていた。木曜日の夜、みやまくんと太田君の送別会で睡眠時間が少なかったせいもあって、うたた寝をはじめたので、一旦寝た方がいいとソファーで1時間くらい寝た。起きたあとにネットTVを眺めると、これはもう何ともいえない感じになってきた。そこからはぼーとネットテレビを眺めていた。

日付が変わるあたりで、やたらと余震を感じるようになった。ネットだと、震度3千葉北西部 としょっちゅう出ている。普段だと、震度3の地震で家じゅう大騒ぎになっていたのに、これだけ連発していたらどうなっているんだろう...と思ったが、余分な電話するときではないし、ぼーとしつづけてそのうちに寝た。

朝、交通機関は回復したが、回復後すぐは尋常でない様子だろうから、昼に大学を出ることにした。twitter 情報でまだ混乱が続いているのは分かっていたが、大分落ち着いてはきているから、このあたりでいいだろうかな、、という判断だった。家には、「夕方までには着くだろう」、と電話しておいた。想定していた中では、最速に近い形で家に着いた。時間がかかっても無駄に疲れないパスを選んだこともあって、ストレスはかからなかった。家につくと、まだ片付けが終わってなかった。(昨日はガスがなかったらしい。)

今日の夕方は、原発関係のニュースでどきまぎした。まだ色々とでてくる気がする。色々と思うこと多いのだけれど、記録だけとめておくことにした。