火曜日

3月11日の地震のすぐあと、避難から戻る階段で、「もうこれで大きな地震がないだろうし、まぁ、安心かな」とボケたことをいっていた。その時点で東北地方の惨状など全く想像できてなかった。夕食後のTVで「これは大変だ」と事態の大きさを理解したが、まだ自分の身の問題としてとらえてなかった。

今日までの状況:まず、千葉市でも、今日も昨日も夜中に2,3度目がさめる程度には地震が続いている。勿論、日中も(間欠的だが)続いている。大きな余震が関東付近で起こる可能性は、正直いって気になる。データを見て何か言えるわけではないけれど、つい、時空図とか見てしまう。(普段の研究対象と似てなくもない。しかし、サンプルとれないので何も言えない。時間的に間欠的で空間的に相関が強いようには見える。)3日が過ぎて、こんな状態とは思ってもみなかった。

次に日常生活。トイレットペーパーは勿論のこと、食材が少ない。(魚はない。肉は昨日はなくて、今日はあったが多くない。野菜も多くない。コメも少ない。たまたま、家はコメがなくなるときで買おうと思ったらなくて、あちこちまわることになった。)この原因は調べていないので良くわからないけれど、全く想像してなかった。地震の直接的被害はほとんどない。初日のガスを除いてライフラインは普通にあるし、余震をのぞいて普段と変わらないように見える街でこうなっているのはどうしてだろう。

計画停電は、千葉の家が予定されていたはずだけれど、対象からはずれたようだ。この対応はまだ未経験だけれど、どうやってのりきるのか見えていない。計画停電せざるを得ない事態になることは、初日の段階でも想像可能だったろうけれど、そこには及んでなかった。ただし、これは理由が完全に納得できるので、今の段階で疑問に思うことはない。

停電そのものよりも、交通手段の制限が僕の生活にとっては重大なことになっている。昨日は、はっきりいって驚いた。月曜日に大学ですべきことを予定したけれど、手段がない。(絶対に行かないといけないなら、多くの人がそうしたように羽田空港経由はあったけれど...。)今日のように50−70パーセントが標準になるのかもしれないが、さて、それに順応できるかどうかは個人的には重要である。(現在、片道105分程度の通勤時間で、普段でも限界点に近い。これが、たとえば、毎日片道150分の通勤時間になったら、限界点を超えるので、通勤不可能になる。明日以降の課題だな。)

関連して、今日の交通状態が分からなかったので、(予定どおりなら昨夜から薬を飲んで)今日受けるはずの内視鏡検査をキャンセルした。このキャンセル電話も全く通じず、今日の早朝にやっとつながった。(なぜか)医師面談の予約からやりなおしだけれど、これも全く通じない。[最速で4月中旬、検査は5月]まぁ、これは1イベントだから、予約がとれたら忘れてよい。

大学での生活も大きく影響を受けている。僕は、図書運営委員長なので、ダメージが結構あった図書室の復旧計画を考えないといけない。短期的な課題なので、決めてしまえば粛々とすすんでいくとは思う。日常的には、計算専用計算機の停止、および、照明の停止なので、「大学にくる理由がない状態」になった。幸い講義も会議も区切りがついた頃なので、それでも大きな不都合はないかもしれない。4月に新学期がはじまったときにどうなっているんだろうか。

原子力発電所の件は、僕自身も先行き不安だし、TV やtwitter を見ていて思うことも多い。でも、これについては書きたくない。