火曜日

χ_4論文:査読者のレポートを丁寧によむ。ひとりの査読者は、的確に「気になる点」を指摘していて、非常に気持ちがいい。(時間をとって考えないといけないので、応えるのはしんどいのだが。)これに応えれないなら、アウトというのはわかりやすくていい。若くて鋭い雰囲気を感じる。もうひとりの査読者は、表現がつたない点や舌足らずの点を丁寧に指摘してくれている。理解に関しては標準的で、鋭い!という感じではない。経験を積んだ老練な研究者だろうか。などなど、査読書を受け取ると、ついつい勝手なイメージを膨らましてしまう。EPL だが、昨年と違って、担当editor をこちらから要求できる。もちろん、editorial boaod をみて、ちゃんとした人に査読がまわるように考えた。(Racz さんにお願いした。ガラスの専門家というより、非平衡統計力学全般の人。最近、研究がいくつかかぶっていて、ノリ的にも一度会いたいと思っている。)

担当editorの名前が前にでるのは、もちろん、よし・わるしがある。査読者や著者からは、editor の顔がみているので、editor としてはやりにくいこともあるだろう。それに対して、JSTAT では、担当editor も匿名になっている。この効用は今のところプラスになっていると思えない。まず、editorial borad をみれば、まぁ、だいたい想像できてしまうので、顔は半分みえている。また、担当editor が匿名になっているので、編集プロセスの責任者の所在がわかににくい。何かの作業のときに、(実行部隊はともかく)、誰が責任を負っているのか、が明示されていないシステムはトラブルのもとである。