水曜日

高等研:本来、もっとも山場であろう、宮崎さんのχ_3発散の話が、レターよりも少ない詳細しか喋ってくれない構成だったので、強く不満が残った。(もし、色々な分野の人が集まる会なら、一般的な紹介の構成もありかもしれないが、、。)同じことは、古沢さんの講演にも共通していて、せっかくの機会なのになぁ、、どうしてだろう。田中さんの話は、たしかに”ひとつの筋''として説得性があった。ガラス転移をみていくひとつのいきかたかもしれない。

ガラスの問題は、依然として問題があいまいに分岐していて、問題群の整理もできない状況だと思う。(問題の整理だけでも相当の偏見がはいる。)そういうとき、問題のレベルをわけることはきわめて大事で、本質的に難しい部分と議論している詳細をわけないと、何の議論をしているのかわからなくなる。たとえば、転移点が本当にあるかどうか、、というのは、今のところ「わからない」というのがもっとも公正だと思う。もちろん、準安定状態という言葉が、平均場を超えると、あいまいになることから、準安定性に由来する全ての転移はクロスオーバーである可能性は「普通に」ある。ただ、有限次元でおこる可能性が否定されているわけでもない。

さらに事情が複雑になっているのは、いわゆるMCT 温度という、近似計算の結果にもどつく温度の実在性の議論と転移温度の実在性の議論が錯綜してしまうからである。「MCT は、本来、非常にあらい議論だから、定量的にはあわなくていい」(川崎先生の台詞)のだけど、いくつかの量の計算について、非常にあってしまっている経緯があるので、温度もあわないとおかしい、、、という信仰に反して、そのあたりでactivation のクロスオーバーがみえたものだから、MCT温度がない、という話が急速にひろまった。しかし、そういう理解の仕方は僕にはおかしく思える。そういう観測から、「MCT による計算が、(観測されている)ガラス転移(がもし真に転移だとして)、高次元側からの非常に粗い第一近似である可能性」が否定されたことにはならない。理論の位置づけというのは、そんなに簡単に決まるものではないことは、物理学の長い歴史で僕らは学んだきたと思う。つまり、そのような微妙な話は、時間をかけてわかってくるものである。MCT にたつならば、理論家としてすべきことはただひとつで、どうやってMCTにもとづく計算を系統化させるか、、である。それによって、MCTによる計算の位置づけがきまってくる。しかし、MCT の計算をする研究者は、「定量的一致性」にひかれて、計算に参入することが多いので、彼らがそういう方向にすすむ可能性がすくない。

僕自身は、系統的な計算可能性の立場から、MCT には未来がない、と判断しているので、自分たちの手で「0から」理論をつくっている。(これは既存の理論の位置づけの客観的判断とは別で、自分の研究をいかにすすめるか、という主観的な判断の話。もちろん、勘でしかない。)現段階では、さらに考えを継続してもいいくらいの材料がいくつかでてきているので、あと2年くらいは飽きないと思う。

たとえば、Iwata-Sasa I の話では、コロイドモデルgiven のもとでもっとも簡単な近似の範囲で、非エルゴード転移はみえる。それが、観測されているガラス転移(が真に転移だとして)と直接関係するとかどうか、、、などは、いまの段階では何もわからない。(もちろん、MCT temperature とは完全に無関係。)定量的には、まったくよくないだろうから、その計算で得られた転移温度を、わざわざ Iwata-Sasa temperature とよんだりはしない。この段階で詳細な定量的比較をすることに強い意味はない。(もちろん、比較はした方がいいので、比較はしたいけれど。)

僕たちにとって大事なことは、(本当の意味での)理論をつくる部品をつくっていくことである。この計算結果はゴールでなくてスタートである。部品その2が夏にだした論文で、これはいったんミクロから離れて、ゆらぎの動的相関を解析する案をだした。今、部品その3、その4をつくっている途中である。これらの部品が全部揃って、なんらかの形で、理論ができればいいな、、という段階かな。部品ができなくてボツになる、、あるいは、部品はそろってきたけれどボツになる、、そういう可能性が非常に高い、というのは、当然、前提にしている。嗜好の問題で、僕たちがそういう研究が好きだ、というだけである。