木曜日

明日のarxiv で気づく人もいるし、まだ完全終了ではないが、記録に書くことにした。

先週木曜日に、Iwata-Sasa I の計算間違いをみつけたのである。前日の水曜日に掲載が決まったのに。僕も複数回チェックした部分だし、最初は、その間違いが間違いだと思っていた。しかし、26時の段階で、とある項の計算について、ふたりの計算が一致したので、僕らが解析した時間相関のみたす最初の式が変更をうけることは確実になった。

金曜日、ともかく完全に正しい式をだしなおすことと、最初の論点である臨界モードの存在の検討をふたりでやっていた。15:00ぐらいには、「なんということだ..?」という事態になっていた。臨界モードがない。それがなければ、すべてが計算間違いの結果から生じた人工物になるので、論文を取り下げるのは当然のこと、χ_4論文もだせない。しかし、単に計算しただけでなく、色々な考察から「これはあってしかるべきだった」はずなので、18ヶ月前の風景を懸命に思い出す。岩田さんにその頃のノートをみせてもらって、絶対に間違いではない、と確信して、色々な角度から検討しなおす。結果、金曜日の夜の段階で、時間相関の式の正しい式は終了し、臨界モードがあることの確認までおわった。時間相関の式は、ほとんどの人が気づかないくらいのマイナー変更ですんだ。しかし、解析の大前提がかわったことには違いない。

土曜日、その変更にともなう非線形解析の補正の計算を岩田さんにまかせていた。(ODE係数決定プログラムは、岩田さんしか持っていない。)僕は、全体の論点整理とこれからの作業についての整理をしていたが、落ち着かない。電話で少し連絡をとったが、最終的には、「今日のところはサドル接続分岐がない」というメールがはいっていた。もちろん、それがなかったら、論文とりさげである。

日曜日、朝4時におきた。サドル接続分岐がおこる条件等について、もっと厳しく定量的に検討をはじめた。その過程で、いくつかのチェックポイントがわかってきたので、それをもって大学にいって、岩田さんと具体的に検討する。色々あったが、夜までには、サドル接続分岐がおこることがほぼ確実になった。

月曜日、JSTAT編集部に事態についての説明メールをおくる。この送るタイミングは少し悩んだ。間違いによって生じる変更の程度の把握ができてから送らないとドタバタになる、と判断して、金曜日ではなくて月曜日になった。僕らとしては、編集作業をpending してもらい、新しい原稿をおくって、それをeditor check からやってもらった方がいいと思っていた。そのつもりで、月曜日、火曜日、岩田さんは計算のつめと再投稿用の図を準備していた。(僕は少し作業からはなれていた。)

火曜日夕方、JSTAT 編集部からの返事は、「もう論文ゲラできているから、まずは、著者校正で対応しな。それを editor check にかける。」とのこと。それはそれでもよかったが、JSTATの著者校正では、文字による指定しか許されない。pdf を送ったり、fax を送ったりはするな、、と書いてある。期限は1週間で、再校正はない、、とのこと。一発勝負で、細かい数式の変更を言葉で説明するのか.... あれ?図の変更できないやん。。

水曜日、まず図の変更の問い合わせのメールを書く。そのあと、誤植説明のweb page をgoogle でひきながら、とにかく例文をぱくる。(自分で考えた英文で誤解をうんだら怖いから。)tex source レベルでの変更も補足的にいれて、できることは全てすることにする。マイナーとはいえ、結構な数の変更になる。JSTATの typesetter の人に気持ちよく作業してもらえるように、ご面倒をおかけしてすいません、、などのあいさつ文も 校正リストの冒頭にいれる。岩田さんが論文用のデータとグラフも無事に終えた。校正の文章は、ふたりで、何度も丁寧にチェックをいれる。JSTAT 編集部からから、図はメールでおくってさしかえていい、という返事をもらった。

木曜日、最終チェックをかけて、何箇所か直して、校正表と図をJSTAT 編集部におくって、arxiv をいれかえる。これを編集部がうちなおして、editor のところに再度いって、editor が対処の判断をすることになる。基本的には数値と符号の変更だけなので、たぶん問題はないと思うが、それは、editor が判断すること。その判断にそって、次の対応は淡々とすすめればいいだろう。

事態発生後ちょうど1週間で、自分らができる必要な処置は全て終えた。おそらく、最良の結果として、ほぼ最速におわることができた。何で最初に間違えたのか、18ヶ月もあってなんでそのミスに気づかなかったのか、、色々と理由はある。この間違いは、実に絶妙にできていることもわかってきた。しかし、いずれにせよ、大失敗には違いない。とくに、僕の責任は重大である。深く反省して、毎日の生活をより緊張しておくることにする。出版されるぎりぎり直前のところで気づいて、しかも、結果として大きな間違いでなかったのは、「研究生活をこのまま続けてもいいが、もう少しちゃんとやれ」というメッセージだろうと受け止めた。何があっても、その結果として、自分がこの先どう変わっていくか、の方が大事なことだし、そういって明日からの生活を送れるのは幸せなことだ。