金曜日

引っ越しの準備:備品の移管や廃棄について調べる。ついで、重要文書を特別対応廃棄するために、色々ひっくりかえす。特に、机の隅に眠っていたものを出す。色々でてきて面白い。

すっかり忘れていたが、98年に学振の日米研究交流なんたらというプロジェクトを申請している。書類を見て思い出した。これ、日本側が太田さん(当時、お茶大)が代表で、関本さん(当時、基研)と僕(東大駒場)で、アメリカ側がJasnow と大野さんはまぁいいとして、もうひとりが何とChristopher Jarzynski だった。僕はまだあったことがなかった。97年のJ等式がでた後、その年の夏休みの宿題として、それをLangevin で示した。1ページくらいのコメントに書こうかな、、と思って原稿はできていたが、関本さんが会議でクリスとあって僕がLangevin で示したという話をつたえ、クリスはすでにLangevin の場合もポーランドの雑誌に出したというニュースを聞いた。(証明は違うのだから出しておけばよかったんだが。順パスと逆パスの比でパス測度を変換する(今なら誰もしっている)トリックが分かったのは公園のプールだった。)いずれにしても彼の名前をそのとき意識して、クリスと交流するなら面白いかなぁ..というのでのったのだと思う。

でも、そのプロジェクトで交流した記憶がないので、不採択だったのだろう。しかし、凄いよな。有名になってからの交流計画でなく、研究成果と人を見てたてた交流計画だから。でも、クリスは日本では全く無名のpost-doc だから、審査した人は何だこれ...却下!としたんだろうな。不採択なものを公開するのはどうか思うけれど、こういうのは恰好いい気がするので書きたくなった。[採択されていたら、色々変わっていただろうな。]

(クリスと会うのは2000年。僕がおしかけた。その時点で、クリスは、"Jarzynski equation" という言葉は聞いたことがない、と言っていた。Statphys 会議はパリで初めて参加して、そこでゆらぎの定理を知って... 同じやん.. と思ったとか。。)