木曜日

学位伝達式に出席するため、ネクタイとスーツを着る。寒さ対策で、中に余分の厚シャツをきて、外ではセーターとコートも着込んだ。今日も寒いので訓練のようになるのかと覚悟していたが、やっと、「特別に寒い日は暖房をつけてもよい」との通達がきた。最高温度が10度を超えない日が続いており、体調をくずされる方が出始めているらしい。また、やっと電力制限の部分解除もでた。その範囲でどういう風にするのがいいのか考えないといけないが、まずは計算機実験を最低限出来る程度から順次たちあげていく。僕には、どちらの解除も対応が遅く感じていて、今週中に何もなかったら、意見を正規に提出する予定にしていた。同じように考えている方はたくさんいらっしゃっただろうし、真に切羽つまっているグループもあって既に意見が対策本部まであがっていたのだろうとは思う。

関東の電力不足について、今日の記事で、事業者ごとの総量規制案の検討に入ることが紹介されていた。具体的詳細については難しいところはあるけれど、(素人的には)これを実行するのが最善だと思う。「検討に入る」という記事の書き方に反応して、まだ検討してなかったのか、、、と少し驚く。デメリットがたくさんあることも分かるけれど、基本方針としてそれを採用した上で、経済が不活性にならない運用案をつくることが行政の腕の見せ所ではないだろうか。短絡的なアイデアはいくつか思いつくけれど、こういうのはあるところで良くても別のところで悪くなるので、論点をきちんと整理して決定しないといけない。これは大変なことだけれど、日本の行く末に大きな影響を及ぼすことになるだろう。間違っても、(緊急対応策として受け入れているに過ぎない)現状をダラダラ続く路線だけはやめてほしい。昨日も書いたとおり、それはやがて疲労して倒れることになる。[ついでに、小さいことだが、24時間のうち9時間停電させるというのは、緊急案としてもかなり酷い案だ。どういうセンスで作ったのか問い詰めていいと思う。僕の家はその9時間が非常に寒いときと重なったので、相当にまいった。]

研究日記なのに、研究外のことを書いてしまった。研究はうまくいっていない。復活した計算機でざざっと計算した結果を見ると、うーんんんん。明日からノート書きだ。

誕生日ということもあって、少しだけ脱線。学生時代(82年ー85年)、原発に関する勉強会は何度かあった。学生のレベルで論点は消化していたつもりだった。僕の最終的な意見は、ずるいもので、「近所につくるなら絶対反対、しかし、日本全体としてはどこかに作らざるを得ない」というものだったと思う。そういうずるいことをいうから、勉強会を企画した人たちから怒られた記憶もある。しかし、原発反対の人も、電力確保をどうするかについて僕が納得する明快な意見はなかったように思う。水力発電がもたらす自然破壊、火力発電の資源不足と恒常的環境破壊を考えるとき、代替エネルギーが見つからない以上、バランス的にやむを得ないというところにいきついた。じゃぁ、そのとき、どこにどうやって...というのが、問題になる。広瀬隆氏の「東京につくってみろよ」という挑発は、絶対的な安全を確保するための分かりやすい論だと思った。[すすめられた読んだけれど、彼の本は嫌いだった。また、久しぶりに見た最近の彼の文章はもう無茶苦茶で...。]そのあとすぐにチェルノブイリがあって、それみたことか、、と緊張感も増した。そのときの勉強会は、(確か)Y先生が企画して、京大の物理教室であった。(参加者は講義室満席には遠かったけれど。)

この緊張感は時間の単調減少関数で消えていった。僕(たち)は、これに関して深く反省したい。原発を含むエネルギー問題についての議論を継続することで、社会全体として、安全性に関して電力会社にプレッシャーをかける環境づくりにつながっていくことはありえたと思う。結果としてそれができなかったのは、僕たちの怠慢だといわれても仕方ない。個人で特別な何かができるというわけではないけれど、やはり世代の総体として、手抜きをしてしまったんだと思う。何でだろう、、と少し考える。そうか、本来、「政党」が、こういう論点を出して考える機会をつくるんだよなぁ。しかし、小選挙区ベースになって、キャッチフレーズ選挙になった影響も大きい。原発について共産党がひっそりと適切な質問を提出してもほとんど誰も気づかない。マイナーだがひとたび起これば重大な事象に関して、チェックしつづける小政党は貴重なんだよなぁ。(学問も同じで、.....)