水曜日

どうも事務的なことでヘボをしていた。明日しんどいなぁ。整理が苦手、、というのはどうしようもなく、整理が苦手な人が事務的なことをこなすのは大層つらい。(結構な時間を無駄につぶした。)

今日からプール。目標は週1くらいのペースを保つこと。こういうのは2年くらい続けてこそ意味があるので、無理しないように、初日の今日は最大400メートルでやめるつもりだった。最初は、こりゃ200でもしんどいかなぁ..と思っていたが、400くらいでもっといけそうに感じてきて、600あたりで止まらない状態になってしまった。(計算し続けるとか、アルコールを飲み続けるとか、と似ている。)意識は正常だったので、これでは(明日が)やばい、、と判断して、強制的に800で出た。明日の講義は大丈夫だろうか。(800泳いだのはおよそ20年ぶりくらいかもしれない。)

研究は綺麗な部分と謎の部分があって、迷走中。方針はあっているように思うが。。

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皆が騒いでいる中で、同じように思い出話を書くのも何となく気が引けるのだけど、やはりかいておこう。

僕がはじめて益川さんとあったのは3回生のときだった。僕の友人だか僕だか忘れたけれど、講演会を企画した。参加者は10人以下。僕は、その当時、小林・益川とか知らなかったし、講演でもそういう話はでなかった。マルクス的な話、坂田さんの話、ゲージ理論の背後にある考え方の話、そしてすぐに脱線しながらも全体を「独特の研究者オーラ」で包んでいた。

2回目は、大学院(M1)のときの講義。場の理論の特論で、構成論的場の理論の香りをもった漫談だった。参加者は数人。ちょうど臨界現象をもう少し深く理解したいと思っていたときだったので、僕には非常に楽しかった。論文を熟読するほどの専門分野でないし、教科書があるようなポピュラーな話ではないけれど、大事なことがいっぱいあった。(たとえば、経路積分にのっける作用とはいったい何ぞや..みたいな。)僕にとっては非常に珍しく講義ノートが残っている。[14年前にちょっと調べものでひっくり返した記憶もある。]

3回目は、益川さんが教室主任のときで、(なぜか)僕は教室会議議長だった。大学院重点化をめぐる対応で、臨時に教室会議を至急開かないといけない状況になった。(形式的には)それを開くのは議長の役目なので、休日に主任から家に電話がかかってきた。その臨時会議のやりとりはよく覚えている。益川さんは主任としての対応で走ったのだろう。僕はもう少し攻撃的でもよかったかもしれない..と今でも多少悔いる。

実は、益川さんというと3回目のときの印象が強く残っていて、どうしても負のイメージがついていた。今回の機会につい思い出すと、最初の3回生のときのことが鮮烈に蘇ってきた。数えると、当時の益川さんは今の僕と同じくらいの年齢ではないか。わけのわからん学生が突然押し掛けて、きわめて私的な無償の講演会をお願いをしたとき、それを快くひきうけてくれて、懸命に喋ってくれた。そして、その残像が24年後にも残っているのだから、これは並の話ではない。僕が学生に対して24年後に残像を残せるだろうか、、と考えてしまった。やはり来年も全学自由セミナーをやろう。これも挑戦だよな。