日曜日

論文ふたつ改訂、赤入れひとつ、スライドひとつ作成、原稿ひとつ作成を2日間のミニマムだととしていたが、ちょうどミニマムだけで終わった。まだ宿題は山積のまま。

7年か。。7年前の9月は千葉学会。精神的鎖国を撤廃して、財団にお金を申請して、海外研究室まわりを決意した年だった。(同じことを考える人がそれなりにいるらしいが)、国内での研究生活が不快な状態になったので、嫌々海外にいくことにした。寝っ転がって変な絵を書いて計算しているのが一番楽しいので、そもそも外出は嫌いだったが、仕方ない。それまで一度も会ったことがなかった、いよならしにおさんとは国際会議で7回会ったようだ。 最も会ったほるへとは指が足らない。この判断が良かったのかどうかよくわからないが、嫌だと思うことはちょいと圧力かけてするぐらいがちょうどよくなるから、結果的には良かったのだろう。(嫌だと思わないことは自然とするからな。絵を書くとか。計算そのものは好きではないと思っているが、知りたいことを知ろうとする過程が好きなので、気が付いたらかってにしているようだ。)その結果、より一層、時間に追われるようになったので、精神的には貧しくなった感がある。ま、時々、寝っころがって変な計算する時間もとれたから、対称化エントロピー や ピュアガラス やらのいかがわしい話も生まれているからよしとするのかな。どっちの話もまだ途上なので客観的位置づけは不明だが。

さて、次の7年。。ふーん、あれこれと少し考えてみたが、多分あたっていない。7年前に今のこの状態は全く想像外だもの。