木曜日

昨日も夕食後ずっと式をいじくっていて、今日は電話やメール対応以外の仕事は後回しにして、ひたすら式をいじくる。

難しかった。今までちゃんと示してなかったことを火曜日に自覚して、それをきちんと示そうと決意して、何度もできた、、と思ったが、清書するたびに穴が見つかった。エントロピー的量のもっている強い性質(単調増加性)を示そうとしたが、今のところ一般的にはできそうもないので、一旦、あきらめることにした。

それでも理解は深まった。例えば、数理物理のグループがこの手の問題で「便宜的に」とっている仮定とマクレナンやズバーレフが「物理的に」おいている仮定が、実は等価な解の特定の表現になっている。背景が違っても、それが便利な理由は、特異摂動的な意味で、解の分離条件になっているということが今日分かった。つまり、摂動部分はゼロモード成分をもたない、ということ。つまり、任意定数を余分にいれて、解を冗長に表現して、摂動を組みやすいように表現を決める標準的な条件である。(課さなくてもよい。計算が面倒になるだけ。)このゼロモード条件が、ちょうどルジャンドル変換を与える極値条件の形でかけるので、エントロピー的量の増加性とむすびつく。(僕は5月の頭にそっちから入っていった。) あとは、「カレントからゼロモード成分をひきさったものの時定数がゼロモードの時定数と大きく分離している」という条件を使っていいなら、示したかった「エントロピー的量の単調増加性」を強く示唆する式まで出せた。(最後の条件の使い方は、物理的な話なので。。明快というわけではないが。。)ま、このあたりが限界か。。(最初と最後を比べて増加していることを示すのは一瞬。途中の様子が分からない。)

勿論、形式的には、きわめて簡単な摂動でNavier-Stokes が出るのは今のところ問題ない。ただ、この範囲では、「エントロピー的量」は「局所平衡エントロピー」になってしまうし、単調増加性は既知事項なので、面白いことはない。また、数学者が問題にしてきた論点への答えにはなっていない。(特に、流体極限スケーリングの非存在の考え方については理解を抑えないといけない。音速近くで流れるときの散逸の入り方とかは恐ろしく非自明であることを今更ながら実感しつつある。)

この「エントロピー的量」はSSTと深く結びついているのは間違いない気がする。半分冗談で、SST と...とか書いていたが、この間の妄想でその確信が深まった。このノートを素早くまとめてSST に戻らないと。