木曜日

午前1回、午後2回、事務棟で会合。事務棟通いはもうすぐ終わるかな。途中、研究室で学部学生との面談。

月曜日までに資料A、資料B,資料C,資料Dを終えないといけない、というかなり切羽つまった状態になっている。金曜日は終日案件があるし、土曜日も用事があるので、今日中に資料A原案と資料Bまでいきたい。というので、夕方からがんばっていると、APS から校正刷りが届く。たくさんあるなぁ。これは後回しにするとずいぶんと後になってしまうので、今すぐ対応するしかない。予定変更して校正に向かう。その後、資料Aに向かってひと区切りついたあたり。

来週から講義がはじまる。(忘れていたが)、追試験問題も作らないといけない。あと2週間が正念場。引っ越しの準備は優先順位が低いので一番最後になっている。

↑のような状況なので、僕自身の手は動いていないけれど、移動時間とかトイレとかでは、ぼーと考えている。僕の周りでは、最初の山場が1件、何のこっちゃが1件、よしいくぞ〜が1件、あと少しでみえそうが2件、そろそろまとめようようが2件、ノート書きたいが2件、論文手入れないとが1件... 色々あるやん。研究づけの毎日だとこれらを全てフルにやることになるのか。他に秘策練中とか計画中とか勉強したいなぁとかいろいろある。

研究したいのにできない、、と思うと強いストレスになって、結果としてうまく回らない。環境/境界条件はこちらの領分でないのであきらめる。[境界条件を変える..というのは別の話。本末転倒にならずにそれができればいいけれど、そんな簡単ではない。でも変えるべきときには動かないといけない。そういう判断も生き方の問題。]全部することをあきらめてもいいのには理由があって、したい研究全部したって決して会心のものができるわけではないから。できる範囲でできることを(少しでもいいから)続けて、必死でのたうっていることの積分は意味があると思う。(ピュアグラス論文がそのよい例になる。ほぼ記憶がない毎日の隙間で続けた研究結果。)少しでいいから、できる範囲でいいから、何とかしのぎたい。