水曜日

京都へ。先週、今日の午後に議論のアポをとろうとしたが、(さすがに)先方が夏休みだったので、それはなし。それでも、前日夕方に研究所にいけば、誰かしらいるだろうから、議論できるかと思ったけれど、昨日のバテがまだ解消してなくて、千葉を離れるのが遅くなった。千葉では、手帳では次の日曜日にする仕事のひとつをさっとすまして、その次にもとりかかった。新幹線では、ミクロとマクロの章13000字殴り書きを終了させた。まだプロットに毛が生えたようなものだが、最後まで書くことで大まかな構成の気分はでる。次の章、平衡と非平衡はまだプロットしかない。来週の週末までにできるかなぁ。。。と、快調そうに見えるが、ひどく(精神的な)疲れを感じていて、研究会なのにテンションが低い。そのせいか、今日までに澄ますことになっている仕事を忘れてしまったことを今思い出したではないか。。

休むべきときに休むのがいいのが決まっているが、自分の時間が余りにも少ないと、休暇の時期でもせっせと仕事をしてしまう。ま、いいんじゃないか、、と思う。小学生のときの夏休み、時間がやたら長くて、「学校ないと退屈やなぁ〜...」とぼやいていた。時間をぼーと使うのはそこで使い切った。(苦手だったのにも関わらず)運動で時間をつぶすのは中学で使い切った。*1試験勉強で夏休みの時間をつぶすのは、高校で使い切った。自分の好きな勉強で夏休みの時間をつぶすのは、大学で使い切った。小、中、高、大と全く違う夏休みを過ごしてきた。ある程度の期間、ある程度のことをすれば、そのことはもういいんじゃないか、、と思ってしまう。ここ数年は、色々な種類の仕事を結構こなしている。12年前とは全く違う。だから、今、休暇の時期でもせっせと仕事をしていても、ま、そういう時期だということだと思える。数年後の夏休みはまた違っているだろうしね。

*1:くそ暑い夏に、激しく運動するのは、異常だぜ。夏は毎日ゲロ吐いていたぞ。脱線:中3の夏、県総体の決勝戦前の生徒だけの円陣は生涯忘れない。「おりゃー。全力でぶつかるぞー!」とかそういう勇ましいものでなく、「これでやっと終わるなぁ。ここまで、よくやったよな〜。」という文字にするとやる気なしの腑抜けだが、このセリフの重みを味わえたのは本当に良かった。大した練習もしてないのに、試合前に「やるぞー」とか言っても仕方ない。「やれることを全部やる」というのを自分にとってもっとも苦手な運動で経験できたのはその後の人生において全く幸運だったと今でも思う。故郷に帰るといつもそういうことを思い出すので少し感傷モードが入っている。