土曜日

知人のブログに「平日の努力の差はあまりでない。休みも仕事できるかどうかが成功の鍵を握る」という言葉があった。某有名教授の言葉らしいが、本人が本当にそういったかどうかは知らない。(いかにもいいそうな雰囲気ではあるけれど。)ただ、平日と休日の境界がないままに研究している同業者は何人か知っている。そして、その人たちは皆、研究だけでなく、他の仕事も強烈にしている。「雑用で研究する時間がたらない」と嘆いている人が、たいした研究もたいした雑用もしていないのは、ほぼ間違いない。数年以上前の僕はそうだった。

すぐにできることがある。まず、「雑用」という言葉をやめた。雑用でなくて仕事として受け入れると随分と違う。つぎに、「忙しい」もやめた(正確には、やめようとしている)。「忙しい」、といって、仕事がへるわけではない。過度に仕事はひきうけないようにするが、そのかわり仕事はきっちりこなす。結果として、仕事は若干増えてくるが、受け入れる基準は「ちゃんとできること」とである。(あと、本末転倒をさける意識も大事。学外仕事が多くて、学内仕事ができないとかは、結果として仕事ができなくなる典型パタン。)研究したけりゃ、残りの時間で自然と研究するだろう。TV みたり、本みたり、新聞みたりする時間は減るけど、まぁ、これらはもういいや。

ここ2−3年くらいで、休日だろうがなんだろうか、隙間があけば、常に仕事をする状況が急激に増えてきた。(今も増え続けている。)しかし、不思議なことに、数年以上前のような「多忙感」はない。他からみると仕事中毒なんだろうけど、こうして、自然に埋まってくるのはいいのではないか。これもひとつの人生だろう。

冒頭の言葉は、言葉だけみるとはずしているように感じるし、みんながそうである必要は全くない。さらにいえば、院生むけのメッセージとしてはよくない、とすら思う。しかし、60才近くの方が、自分の行動をさして、そのようなことを喋っているなら、悪い感じはしない。自分の生き様と重なりつつあるからかな。(でも、僕が今の延長で60歳になったとして、喋るセリフは違うだろうけど。)

と、いうわけで、案件が5つほどあるので、ひとつづつ。。

途中でぬけて、午後、PTA での歓送迎会にいく。昼ごはんをたべていったので、ビールだけのみつつ、おかぁさんがたや先生方と喋る。お父さんの参加は完全にマイノリティで、風景が面白かった。(家から徒歩10分だし、その前の総会関連に妻がでていたので、途中で交代した感じで、あまり考えてなかった。)