月曜日

自由研究:自分のではなく、娘達の分。ひらがなをやっとこさ間違えつつ書いている小学1年生に自由研究などできるはずもないと思うのだが、「宿題」として義務になっている。ほっとくわけにもいかず、夏休み前半までにあれこれと相談はしていた。一緒に外にいるとき、だんご虫を弱らせて蟻に渡して喜んでいたのをみていたので、安直に「ありさんのかんさつ」でもするか、、ということになっていた。

朝9時過ぎに、砂糖と塩とこしょうを皿にいれて同じ場所におく。10分おきぐらいに観察して、どの皿にどういう風にあつまってくるか経過をスケッチすればそれなりに楽しめるわ、、という目論見は(親には)あった。が、、全くありがこない。なんでだ?近くにありはいるのに、、、。おーーーい。記録に「へんかなし」、ばかりだとつまらないので、観測を30分おきにしたが、ずっと「へんかなし」ばかり。場所を変えたがだめ。。その間、なんでこないのか、あれこれ話をする。しかし、ともかく辛抱。

結局、6時間後に一匹のありがきた。次女は「やったぁーーー、きたきた、ありさんがきたー。」と異常に喜んでいた。もちろん、砂糖にありがたかることは娘も知っているが、実際の意図した観測で(なかなかみえずに)やっとみえたらうれしかったのだろう。その後ありの数が順調に増えて、やや減り始めた頃で日が落ちた。夕食をたべて休憩をしたあとで覗いたら、爆発していた。きっと、ありの道がついて仲間が大量にきたのであろう。しまった、一番の山場を見逃してしまった。

こういうことを書いていると、普段僕らがやっていることと対して変わりないようにみえる。成り立ってあたりまえのことでも実際に確認しようとするとなかなかできず、苦労してできると、「やったー」と叫ぶ*1。そして、ひととうりのことをすると、次次と疑問がわいてくる。それらの疑問から次の問題をたてて「成り立つことが自明でない領域」に少しづつシフトしていく。研究のプロおよび予備軍である僕ら(=大学院研究室のメンバー)は、多かれ少なかれこういう(素朴な喜びの)経験をしているが、「最終的には」前人未踏領域に到達しないといけないから、一方で精神的に大変苦しい。(ま、最初は自由研究でいい。実際、M1 の太田君も(夏休みの)自由研究をやっている。)

*1:実は、長女(中学2年)の自由研究も今日が山場でにた状況だった。僕は、ふたつの実験にかかわっていたので、両方でやったーと叫んだ。