土曜日

いかん、仕事をひとつ大学にわすれてきた。

月曜日の南部さんの講演で、自分が物理にすすんだ経緯にふれて、「興味ではなくて、能力ですね。」とあっさりいわれた。これも頭に残るセリフのひとつだった。

現在、院生とPDの数は膨大であり、それに付随して様々な社会問題が生じていることは周知のことになっている。僕は、この社会問題を考えるにはあまりにも無力なので一般論的意見以外のことはないけれど、「プロにいたる道」については自分の身の丈にあった問題として捉えてきた。(ただし、この3年前までは、そういうことは意識においてなかった。)より具体的には、院生、PDがプロにいたるための道を明示的考え、部分的には意見を伝えるという形で実践してきてた。正しい解答がわかっているわけではなく、僕自身の考えも試行錯誤しながら変えてきた。

そういうなかで、自分の能力を自分が判断することの難しさを感じてきた。例えば、プロとして開花するかどうかのライン上にいる場合でも、自分自身への能力評価が無意識的に狂っていると、歯車がずれてくる。凡庸な独創性しかないものが強烈な独創性を無意識的に志向すれば、何もできないだけでなく、そのギャップに苦しむことになる。独創性を計算技術や実験技術におきかえても同様である。

まずは、自分の能力評価などをあらかじめすることなく、自分ができる範囲でやれることをやってみる。そのやった結果をみて、(運にも多分に作用されるだろうが)、自分の能力を意識化する。そして、その繰り返しの中で、最終的には、進退をみきわめることが大事だと思う。逆はまずい。結果のまえに、「自分には○○という能力があるはず」というところからはいっていくのはよくない。[自分の能力をみる話と、研究している最中の「これは絶対に突破できるはずだ」という話とは別。]

南部さんの「興味ではなくて能力ですね」というのは、「物理をやってみてできたから続けただけのことですよ」という風にうけとった。(南部さんは、素粒子だけでなく、統計力学や物性の研究結果もある。例えば、Onsager 解がでた直後の別導出とか。そのあたりのバランス感覚について、懇親会で伺った。答えは明快だった。「Onsager の話を聞いて面白いと思って、自分でもやってみただけです。」... (もちろん、それがやれた背景はきちんとある。それらについても伺った。)