木曜日

ばたばた。

Otsuki-Sasa 論文の案内を関係者数人に1文メールで送っていた。preprint server に登録しても1日あたり凄い数の論文がでるので、ついつい見逃してしまうかもしれないし、この論文は、僕が関わるのには珍しく「はやりもの」の部類にはいるから。ほとんど人から、1文返事がかえってきた。なんとなく、その返事にも個性があって楽しい。

ここでの「はやりもの」とは、複数のグループがこの最近の論文としてとりあげている問題という意味である。ちなみに、僕自身が、降伏応力を研究課題のひとつに明示的に掲げたのは10年前である。しかし、そのときは、攻め口が定まらずにまったく具体化しなかった。(考察ノートは書いた記憶がある。)それからもちょくちょくと、議論や文献で刺激をうけるたびに考えていたが、具体化しなかった。東北学会で宮崎さんの研究成果を聞いたときは、なるほどMCT でいけるのか、、、と少しショックをうけた。Cates たちの論文やBerthier たちの論文をしって、研究の具体化に一歩遅れたかな、、と思っていた。僕だけなら、見切りの早い状態に陥っていて、今回の研究には手がでていない。

今回の研究は、大槻君が、博士課程での研究主課題をレオロジーのミクロからの基礎づけに選び、後攻めでもふんばり続けたことによるもので、結果として、先行研究があるものにたいして、それと対等以上に戦える内容を提示することになった。

個性なのだが、論点が確立していない問題を考えるのが好きな研究者は、どうしても先行研究があるものに見切りをつけがちになってしまう。独創性の高い研究を生むという点で、それがいいほうにまわるときもある。(でも、大概は、そこそこの独創性でしかないから、単に、面白いあたりからやっているなぁ、、でおわってしまうことが多い。)しかし、そういう意味での見切りの早さで逃してしまっていることも(個人史をふりかえると)それなりにある。ある種のバランス感覚がいるのかもしれない。

まぁ、そういうことを考えて研究していては、何もうまないのは間違いない。自分の未来の状態での楽しさを考えながら、そのときどきで懸命に選択していくのだろう。その選択が失敗することもあるだろう。(失敗することが多いかもしれない。)それでも、過去の判断に悔いを残すようなことはしたくない。