金曜日

激動第3週5日目:学位審査報告、D3単位認定、修論審査開始などの会議。その前後に膨大なやりとり。

夕方、修論の位置づけの話を院生として、自分の修論を探した。駒場時代にはすぐに出せたのだが、実は、京都にきては一度も見つかっていない。引っ越しのときにどさっとおいて、どこにいったのか分からなくなった。しばらくめくると、分厚い論文がでてきた。博士論文かと思ったら修論だった。あ。。早川の。。ふぇ、完全に忘れていたが、英文で式もタイプしている。てふではない。。。すげぇなぁ。。思い出すと、河野の修論も英文、伊藤のぶやすの修論も英文で、同期の友人たちの修論は皆英語でタイプされていた。その頃、僕はまだワープロなど論外の状態なので、手書きだった。でも、丁寧に書かれていて、とても僕の字とは思えない。そういえば、下書きをつくって、推敲して、清書をしたのだった。体裁はともかく、中身を読むと面白い。僕がイントロや結語で言っていることは、今言っていることと同じやん。ミクロなダイナミクスとマクロなダイナミクスをつなぎたい。平衡統計力学を超えないといけない。特異摂動を超えないといけない。やれやれ。

肝心の中身は。。。全くだめ。話にならない。ところどころ、今からみても、ほぉーというところがなきにしもあらずだが、全体としては研究の体裁をなしていない。素人だよなぁ。。。あのとき、なぜそこで止まったのか。今なら分かる。考える方向が違っていた。時間をかけるところが違っていた。その違いをその当時に理解できる可能性があったか、と振り返ると、多分、あった。結局のところ、僕の想い方に強く依存していたと思う。僕がもう少し学問に謙虚なら、全然違った展開がありえた。自己流を通す、というのは、独自性を持つという点ではプラスだけど、標準的な風景を見失う可能性も高い。自己流を通すとき、もうすこし慎重であるべきだった。