日曜日

昨年は、ちょうど2月第3週はパリ1週間訪問で無茶苦茶有意義な日々だった。その前までに色々なことを終わらしていた。今年は第3週も色々と用務があって、仕事も残している。だから、というわけではないが、のたうつような研究でなくて、そういう用務を順調にこなしつつ、残った時間は書き物をすすめている。

しかし、何をするのも遅くなった。もとから書くのは遅かったが、さらにどうしようもないくらいに遅いなぁ。文書も遅いし、論文も遅い。どこかで対策を考えないといけないレベルになってきたかもしれない。書く力以上に、集中力もあるような気がする。例えば、11月だったか、とある問題に取り組むとき、途中でギアが入って、高速で考える状態には変化できた。書くときもギアが入れば多少はましになるはずで、そういうときもあったかもしれない。(40才くらいかな。)今は、一文書くたびにため息をつく、まるで、20代のときに初めて論文を書いているときの状態かもしれない。

どんな研究をするか、というテーマの選択は誰にとっても悩ましいところである。僕もそうだし、残り人生が短くなっているのを意識しているのでなおさらそう思う。いい問題やいい解法を思いつくときはほぼ一瞬である。その一瞬のために、膨大な泥臭いことをしているわけだけど、単に泥臭くすればいいわけえはないと思う。よく言っているように、(僕の場合)、狙ったものは多分確実にダメ。表面的には狙わずに、でも、やったあとでは、「そう、それがしたかったんだよ」というのがいい。昨年のSasa-Yokokura とかはその典型だし、今、論文書きモードに入った Nakagawa-Sasaもそうだ。研究としては、横倉さんや中川さんという共同研究者のおかげ、というのはあるけれど、僕の部分だけからみると「空から落ちてくるものを拾う感じ」がよい研究につながっている。

あと少しかもしれないが、そういう研究を続けたい。研究成果そのものよりも、むしろそういう瞬間こそが好きなのかもしれない。そのためにどうすればいいのか。40才の頃、時間を止めるとか、運をひきよせるとか、怪しいことを色々いっていたけれど、何かそういうのをさらにバージョンアップしたような感じかもしれない。