金曜日

今日は場所を変えて、遙か遠いところにバスで移動して、13:00くらいまで。何でや...と思うけれど、おそらく予算の関係なんだろうな。そこで1日会議をすることで、それなりのサポートをもらえるのだと思う。ただ、行くのは大変みたい。僕はホテルからシャトルがでているので、それに間に合うようにいったが、同じホテルでもそれに遅れたフランス人やインド人はタクシーとばしたらしい。バスがでていないところからは、地下鉄で某駅までいって、そこからローカルバスをひろって適切なところで降りないといけない。これは難易度が高い。アンドレアスはスマートなので、きちんとこなしたが、それでも結構な時間をつかったようだった。

講演は、それぞれ良質だが...。気分が盛り上がることはなかった。昨日書いた、「応用がきらい」というのはちょっと違う。多分、成熟している分野、あるいは、コミュニティーができているような分野の研究に自分が関わりたくない、というのが近いのだと思う。1993年のパタンダイナミクスの国際会議にいって、次々と話される話はほとんど理解できて、そこに自分がone of them に入っているのはつまらなく感じて、博士課程で一番時間を使っていたパタンダイナミクスの研究から変わることにした。こういうのは、良し悪しではなくて、性格だと思う。今でも、ホログラフィーとかトぽロジカルーとか理論物理でもファッショナブルなテーマで多くの人が関わっているのがあるが、僕は、多くの人が関わっているだけで、距離をとりたくなる。そこにいても自分の独自性が保たれるならそういう研究もいいのだろうけど、、、それがないうちはそういうテーマで自分が研究したいとは思わない。おそらく、非線形動力学とかも半端なスケールだが、(相互に話が通じる程度の)コミュニティーができていて、そういうのが嫌なのだろう。また、研究というのを個人の営みとしてみるときは、差分でみるので、素晴らしい研究であっても、その喋っている本人がやったところまでみると、ふーん、となってしまう、というのもある。一言でいって、僕にはワクワク感がない。

その一方で、今、自分たちが進めている研究たちはそれぞれ凄く楽しい。特に、論文として形になった Sasa-Sugiura-Yokokura だけでなく、現在論文にしている Minami-Sasa (=Yakhot 予想(確率過程模型の有効模型に関する予想)の現代的定式化と具体的な計算!)やもうすぐ論文にするNakagawa-Sasa (復活SST!?)も、流行とは無縁だが、それぞれ非常に独創性が高く、明快な結果に到達していて、かつ、ワクワクする。独創性はやや足りないが、単純素朴に面白いと断言できるTaniguchi-Shiraishi-Sasa(はね返り係数の相転移!)もある。そう遠くないうちに論文公開できるだろう。ラファエルとのオルソディクス話も面白いが、真実の断片は捕まえていると思うけれど....まだワクワクするところまでは来ていない、、というあたりか。

そして、個人的に今もっとも気になりはじめているのが、卒研のひとつで、これが本当ならかなり驚く。20年前くらいにやりたかったことの一つで僕は全くできなかったことを、(そんなことは知らずに)学生がテーマ設定から解決まで勢いよく進展させている。あまりにも渋くそもそも問題を理解できる人がほとんどいないテーマだが、無茶苦茶大事だと僕は思っている。(ただ、このテーマで僕より理解している人が世界で一人いることは知っているので、その方にメールを書いて話を始めた。勿論、その問題を考えたことのある研究者は他にもきっとたくさんいるだろうけど、表にでていないので、誰がどこまで考えているか、、なんてわかりようがない。検索してもでてこない。僕は漠然とした問題意識しかなかったのだけど、20年前にその方から明示的に言葉を学んだ。)こういうのが研究スタイルとしては個人的には大変いい。その卒研生もそういうのがよい、ということだったので、それで行こうとなった。でもまぁ、そんなに簡単にすすまないと思っていたのだが、良い方向への想定外だな。。

という風に、研究については、日常の方がはるかに刺激的なんだよなぁ。。とか...思っていると鎖国(国際会議いかない病)してしまう。僕は96年から鎖国した。99年に香港にいったけれど、そもそも記憶にない。90年代の終わりごろに、特異摂動の長期滞在研究会やパタンの研究会のお誘いなどポチポチあったが断った。2000年にクリス(=ジャルチンスキー)に個人的に会いにいったが、これは国際会議ではない。2005年にレティシアさんに呼ばれて部分開国、2007年から全面開国。(2006年には国際交流を名目に予算を申請しているので意図的。)それからたった10年しかたっていない。ただ戦略的にはよくなくて、少なくとも、おそらく2002年くらいに国際会議にいくのが「社会的には」よかったのかもしれない。まぁ、分からないけれど。。

この10年の国際会議で何かいいことあったか、と考えると難しいのだが、例えば、外に行かなければSasa-Yokokura は確実に存在しない。あれは、僕がインドに講義しにいった、という結果の産物であり、それ以外のパスでその研究がどこかで立ち上がる確率はほぼゼロである。まぁ、あれだ、「ほっといても自分が向かう向きがあるとすると、その反対方向に少しだけ外場をかけるくらいがちょうどいい」というやつだな。この前の講義でも枕でしゃべったけれど、うまくいくときというのはそういうバランスがとれているんだと思う。反対方向の外場が大きすぎると苦しくてダメだし、外場がゼロだと安定方向にとどまってしまって跳べないんだと思う。

最近は、そろそろ最後にしようかな、、と思いながら国際会議にでることも多い。もう少しだけ続けてみるが。。どこかで区切りをつけるかな。(何度か断ってやっと昨年度引き受けたのに飛行機が飛ばなかったバークレー会議に1月にいくのと、3度目くらいの依頼でひきうけたプラハ会議に7月にいく。まだ強い決心がついていないので、強引にこられると、中々切れない。でも、8月のバンガロールは多分いかない気がする。(これ昨年も断っているのだが、代わりに講義を引き受けたのでもう役目を果たした気でいる。。))