日曜日

論文の返事案へのコメントや報告書作成があったが、今日は自分の時間を作った。ぼーと色々な勉強をしていた。「ぼー」とというのは、ノートをかりかり書いたり、頭を限界まで絞ったりとは違って、色々な文献を表面的に読んでいる(見ている)だけの気楽な感じを言っている。二つの方向が見えてきた。

まず、先日買った、Lochak and Meunier は凄く面白い。内容は、特異摂動にもとづいて断熱定理を理解するのがゴールになっているが、全体的な記述が心地よいだけでなく、随所に感心することがある。これは、全部丁寧に読みたいように思う。80年代の本なのだが、少なくとも90年代には読みたかった。(その頃僕が必死で考えていた問題についての解説が色々書かれている。)あの当時は、文献調査は難しく、この本に到達するのは簡単ではなかった。今はキーワード検索で簡単にこの本に到達する。(実は、くりす(=じゃるちんすきー)とゆっくりとメールのやりとりをしていて、その返事を書くときに、偶然ネット検索でこの本を見つけたのだった。)

次に、シュビンガ―の量子作用原理。学生のときに少し勉強しようとしたこともあったのだが、(面白そうだが)よく分からないのでそのまま放置していた。(なぜか勉強している様子を脳内動画再生できる。多分、2−3日でやめたんだろうけど。)エントロピーのネーター話の次の手をいくつか考えていると、結局、そのあたりにいくような気がしてきて、文献をネットで探していた。風間さんの解説を見つけて読むと、心が何とか分かってきた。まだ、完全には消化できていないし、テクニカルにも疑問は色々あるのだが、次にすすめる気がしてきた。短時間的研究として、ケルディッシュ話があるのは間違いない。今すすんでいる関連研究は基本的にケルディッシュで形式化されていると考えるのが自然なので、自分たちのもケルディッシュで書くのは一つの方向である。ケルディッシュの表面的な勉強もしたのだが、どうも目をつぶると違うんだよな。で、ケルディッシュからもう一段階奥にいく... という話と量子系での対称性の表現をラグラジアン形式で... という話がともにそこに向かった。

もちろん、標準的な経路積分や正準形式の話でなくて、敢えて、そこにいく必然性を今の段階で分かっているわけではない。ある種の勘に近い。例えば、正準形式で対称性を表現したとき、量子断熱定理を対称性から議論することは(間違いなく)できる(と確信している)のだが、それだと「時間の非一様変換」が表にでず、普遍定数存在の議論とつながらないんだよな。断熱定理の別証明という枠を超えていると思うのならば、そっちの可能性に賭けたい、、と。

こうやって書くと、熱い日曜日だが、(Lochak-Meunier を読む以外は)少し文献を読んでは考えながら居眠りするということを繰り返す怠惰な一日だった。Lochak-Meunier をずっと読んでもよかったが、研究が気になったので。。。本当は、溜まっている書き物を書くのが一番生産的でアクティブな一日になったんだろうが、中々そうならない。(でも、夏休みもよく居眠りしていた。いきなりあんな研究ができたわけではない。)