日曜日

休養。大変だった5月は終わった。結婚式のスピーチもそうだが、ラトガ―スの講演とIPMUでの講演は激しく疲れた。ラトガ―スは統計力学の会議で(研究経歴的に)僕はもっとも下っ端という位置づけだったし、IPMUでは(研究テーマ的に)僕はもっとも辺境という位置づけだった。どちらの研究会でも新しく知り合った人が(結構たくさん)いて、理解が更新されたり、研究課題を考えたりして、個人的に得ることがあった。(僕は人と話をするのはそんなに好きではないので、新しい人と会うのは苦手である。旅行するのも好きでないので、新しい場所に行くのも苦手だる。だから余計に疲れた。)しかし、少し別のことを明示的に自覚した気がする。

僕は自分の動機にもとづく研究を推進する意欲が未だに衰えている気はしない。個人的には(自由だった)30年前より(他に仕事がある分)研究したい渇望欲は大きい。研究そのものは、基本的にはうまくいかないが、(周りの皆さんのおかげもあって)ときどき突破して視界が開けているので、そんなに悪くないように思える。それは紛れもない事実である。しかし、ラトガ―スで「かっての(広い意味の)統計力学という学問の栄光と今のアメリカにおける統計力学分野の喪失感」を目の当たりにし、そして、IPMUで他分野の話を聞いて「(広い意味の)統計力学のでる幕がなさ感」を感じると、両者は多分無関係ではなく、(広い意味の)統計力学研究者のスペクトルが狭くなって、学問全体の躍動感が少なくなっていると明示的に思った。(利己的なので普段はそういうことは考えない。)

例えば、会議中にも少し議論をしたけれど、ホログラフィックくりこみ群は純粋に統計力学の立場でもっと研究しているグループがあっていい気がする。(僕は4月に少し例題でやっていたが、うまくいかないので止まっているが、そういうのに強い人たちがやれば。。僕が知らないだけであるのかな?)それ自体は単なる練習問題だとしても、そういうつながりで広がっていくことも多いように思う。また、Matt Visser さんが講演の中で、「流体方程式を量子化して原子分子の運動方程式がでることはない。重力も同じだと考えている人は多い。」と話し、emergent という言葉の曖昧さや多義性(使われ方の例)を踏まえた上で、マクロ側からみてミクロ側に別の世界があわられる例として流体と重力の類似性を話の枕に使っていたが、こういう概念整理は本来統計力学の基本的な問題の一つとしてもっと研究されるべきなのに止まっているのではないのかな。(僕が知らないだけ?というか、流体方程式のミクロ/マクロの理論物理は僕の仕事なのだから、僕があと一歩考えないといけないのかもしれない....。今年regular paper 書きながらとことん考えよう。。)

もちろん、biophysics, econophysics, sociophysics, chemical physics, geophysics... applied phyicsでは、(広い意味の)統計力学が寄与しているとは思うけれど、物理の伝統的基本的問題との接点への寄与を(業界として)失ってしまうのは未来を失う気がする。新しい問題や新しい分野への挑戦というのは、ついつい見かけをとってしまうからなぁ。ただし、伝統的物理の中にいてそこだけで難しい問題をやっていると窮屈極まりなく、それはそれでやがて危なくなる。そういう危なさをかっての統計力学の大御所たちは正しく指摘したのだけど、そこは「幅」なんだよなぁ。。

そういや、IPMUでads/cftを使って力学系の問題に落とし込んで特異摂動をやっている人がいた。僕の講演後の講演だったので僕は疲れていて話だけ聞いて翌日に議論した。(講演内容はそれなりに楽しかったが、「正しく理解していないオーラ」がでまくっていた。)想像したとおり、力学系は勉強を始めたばっかりとのことで、優秀なんだろうけど、理解が浅かった。(いわゆる平均化法の高次項と他の計算法の高次項の関係とかマニアな人でないと知らない。)力学系のそういう特異摂動で理論物理の人が読める本はあるのだろうか? 応用数理の本だと高次の計算については不正確なことが書かれているから困ったもんだしなぁ。数学でちゃんと証明を入れると正しくなるのだが、それはそれで大変かつ具体的な問題では有益ではないし。。でもこれは研究者人口はまだ多い方だから、最近はきっと本が出ていると信じよう。(平均化法の高次計算が一番いいチェックかな。)そうでなければ、こういうのも放置されたまま20年後とかにまた若い院生が0から計算するのか。。。うーん。それも「幅」が足らないからだよなぁ。

string にしろ、topological insulator にしろ、問題は分かるけれど、関わっている人の典型的な論文の質とかでみると、きっと悲惨なことになっているので、もうちょっと分野バランスが何とかならんかな。例えば、被引用回数という指数でなくて、論文の質を評価する指数を誰か開発しないかな。今回の海外講演者は知らない人が多かったのでgoogle schalor で論文リストを見た。色々見えてきて、面白い。あ、この人は、はやりをおっかけてある程度の被引用回数の論文をコンスタントに生産するタイプかぁ、とか。そういう人たちの研究は、研究者集団の母数で被引用回数が決まる。どこまでが既知でその人が何をやったかを評価すると、論文の質は高くない。論文をみて判断するのでなく、そういうのを自動化できないかな。。それまでの既知事項に対して、その論文が付け加えた新規事項の非自明性と重要性を自動数値化するアルゴリズムの開発するのは面白い課題と思うのだが。で、そういう数値でいいのができると、stringやtopological insulator の見かけだけ被引用回数が高い論文の幾つかが軒並み沈んでくると思う。で、研究の位置づけを正しく理解してもらって、科学全体の発展に寄与するために、人が足りていないところでもっと大きな寄与してもらう...とか?(被引用回数がメジャーである限り、「現在の流行」に過度に研究志向バイアスがかかってしまう、という傾向は避けえないのは、人間の本性として想像できるからなぁ。。)