水曜日

Rutgers meeting が終わった。これほど奇妙な会議は多分もう一生ないだろう。僕が生まれる前や赤ん坊のときに有名な仕事を人たちがずらっといて、普通の会議ではプレリミナリー講演をするような人たちが20分講演する。20分で司会のジョエル(レボビッツ)が立ち、25分を超えたら、じょえるに「ありがとう」といわれて強制的に終了させられる。ちなみに、時間制限内に終わったのはラディム先生と僕だけで、ほぼぴったりがネルソン先生、田崎さん、他ちらほら。(何も構成を考えてなくて)だらだらと喋る癖のあるイタリア人たち(や駒場の元同僚先生)は、例えボルツマンメダルをもらっていても強制終了だった。講演の内容が一級だとしても! ジョエルが全ての講演の司会をし、車で送り迎えをし、パソコンの具合が悪いとあたふたし、廊下が五月蠅いと注意し、講演後にその議論をはじめた研究者を叱る。噂には聞いたけど。。とある超有名人が「ジョエルに招待されたら、こないわけにはいかない。」と言っていたのが全てかもしれない。ちなみに、招待講演者は宿泊代だけでなく、夕食や昼食、その他雑費だけでなく、会議登録料まで払うので、金額的には何というか厳しい。そして、会議おすすめのホテル(というかモーテル)は大変なもので、普通の会議なら怒り出すだろう。

参加者はそれほど多くないが、講演者リストは凄まじい。休憩時間等で色々話をしたが、全ての人と深く話をするには全然時間が足らない。ある程度時間をとって物理の話を学んだのは、ふぁん=えんたー先生、フレディ―、アシュビック、パルロ、あとプリンストンのPD. それぞれ文献を教えてもらったり、僕の知らない諸々を聞き、次の問題を理解した。かーだー先生、すてふぁのを始め多数の人と(問題の確認くらいの程度だが)意見交換をした。で、じょえる=れぼびっつ、えりおっと=りーぶ、じょあんに=いよならしにお、じゃん=じんじゃすてぃん、という神々(じゃあんにとは会い過ぎて神感がなくなっているが)と話をしたのは、まぁ一生の記憶に残るだろう。(ばらだん先生はいなかった。)(しかし、数理科学に書いたLieb-Yngvason の解説記事は、Am. J.Phys.に投稿すべきだと確信した。Lieb 先生の記憶では、僕は日本で熱力学をがんばっている変な若者くらいの印象しかないだろうが、何とか、この1年で投稿してお送りしよう。夜に車でホテルまで送っていただいた恩返しとしてはこれしかない。ちなみに、今朝は、ジョエルの車で会場にいった。)

僕の講演:やれることはやった。喋りながら全体を見ているので、どれくらいの人たちがついてきているのか、というのは理解している。全体の反応は良かったと思う。一定割合の人たちは身を乗り出して(かなり熱狂的に)聞いてくれていた。しかし、残念なことに、最前列の「神々」が10分を超えたところで倒れてしまった。(10分から15分が課題だとは思っていたが...。)それでも、じょえるとえりおっとは(そして、もちろん、じゃあんにも)聞いてくれていた。今後、精進しよう。(講演後に結構な数の人が、「素晴らしい話だった」と言いにきてくれたので、それを間に受ければいいのかもしれないが、そこはあまり信用しないことにしている。講演中の聞いている顔が一番判断材料かな。)

じゅあんに(=いよならしにお先生)にはどう恩返しをしていいか分からない。2年前のソールのSTATPHYS会議のボルツマンメダル受賞記念講演のときにわざわざ名前をいってくださった。これは社会的には絶対に間違っている。受賞記念講演で謝辞を言うのは違う人だろう。たまたま、そのときに考えていた問題が、熱力学の拡張で講演の力点がそこにあったので、謝辞をそこにもっていたのだろうが、何というか「ありえない!」。そして、今回も、たまたま、Hatano-Sasa を考えていたらしく、20分しかない講演で過分なまでに宣伝をしていただいた。(これも講演時間のバランスを考えたら、ありえない!)そういう意味で、プレゼンとしては全く崩壊しているのだが、80歳を超えて、今興味を持っていることを他の人が興味を持つかどうかに関係なく、学問的な意義がどうとかは関係なく、子供のように研究されている姿勢には感動する。(実際お会いすると楽しくなる。)30年後!に僕がその姿勢を持っているだろうか。

あ、忘れていた。ほーへんばーぐ先生と20年ちょいぶりにお会いしたのだった。当然忘れていると思って挨拶をしたが、どこまでが本当か知らないが、「覚えているよ」と仰ってくれた。残念なことに初日だけの参加だったので、僕の講演を聞いていただけなかった。 http://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Hohenberg をみると凄まじいが、90年代前半に話をしたときは、「この人は学問的にはもうだめだな」と感じた。(おそらく自分で計算しなくなっていた。)でも、20年後の今、ありとあらゆる講演に質問している様子をみて、これもひとつの姿か、、と何というか感動した。

しかし、そういうドラマ的な話でなくて、何というか、「〇と〇と〇の論文を書きたい!」「△と△の△の研究をしたい!」「XとXとXの勉強をしたい!」と強く思った。おそらくもう来ることはないだろうが、ずっと印象に残る会議だったのは間違いない。