土曜日

昨夜、(日記を書いたあとで)、一般的な形式をだだっと殴り書いて、思ったとおりいけてそうだった。今日は諸々の仕事を予定していたが、朝、少しだけ、木曜の計算の確認をしておこうと思った。。。

ところが、なんと途中で計算ミスをしでかいていることが発覚。あれれ。そこを直すと摩擦係数が発散する。おそらく、もう一回くらいどこかで間違っているに違いないと最初は気にせずに計算やりなおしをしていたが、うまくいかない。結局、一日つぶして、どうもこのノートの通りに計算をすすめると摩擦係数が発散すると認めた。(算数上は、その発散する寄与をないものとと思って残りの有限の寄与だけみると欲しい結果になっている。くりこみ...?とかつい別の話にいってしまう。)そういううだうだ考えていると、これって蔵本=西川の最初の計算と本質的に同じになっている気がする。今や、あの気持ちは理解できた気がする。しかし、待てよ、、蔵本=西川の議論は、物理的な描像にもとづくものだったが、僕は、一般的な非平衡等式経由できているのだから、物理的描像などにひきずられなくて済むはずだ。夕食後、深呼吸して、ゼロから見直し、指さし確認をしながら、定義をきちんと見直し、ステップby ステップでやりなおす。お風呂に入る前にはゼロになった。あぁ、ノイズレス極限蔵本の解析でも無限大になったりゼロになったりしていた。今度は計算すべきものは完全なのだから、どこかで計算をへぼっているはずで...。やっと見つけた。ぐぁ、物理数学の簡単な問題でミスるようなことをやっていた。そこを直すと、、、おぉ、でた。係数や符号の確認はまだだが、この形でよいはず。

しかし、不思議だな。ノイズレス極限蔵本模型と決定論的蔵本模型の摩擦係数は(あるクラスでは)同じになるのだが、両者が一致したのは不思議としかいいようがない。(物理的にはもっともだが、ここの「不思議」は算数としての話。)実は、ノイズレス極限蔵本模型の解析でも計算は簡単だが、一か所、トリッキーな式を挟んでいる。言われて式変形を確認するのは簡単だが、その式のその巧妙な使い方を思いつくのは簡単ではないはず。今回の決定論的蔵本模型の解析では、そのトリッキーな式に相当するものがない。だから、おたおたしていたのだが、丁寧に計算すると、そのトリッキーな式と等価な式が沸いてきた。最初、等価だと気が付かなかったが、等価でないとおかしいよな、と思って手を動かすと等価になっていた。

どうもノイズレス極限系でも決定論的系でもこの部分が皮膚感覚的についていってない。だから、無茶苦茶な計算をしたり、思い込みにひきずられたりする。ちなみに、摩擦係数は、千葉さんの論文のD_0に相当している。これとの関係も分かっていない。今回の計算ではp.71 の一番下の式が導かれる。ノイズレス極限系の解析では違う表現かと思ったけど、これもそういう形に書きなおすことができる、というのが↑で書いた等価性。

清書はまだだし、係数や符号の確認はまだだし、今年中にノートを書くくらいかな。

今日、一日を(仕事ができなかった、という意味で)ぼーにふってしまったけれど、本来の意味での休日というか、研究日としては実に有意義だった。