日曜日

夏の学校の講義準備、書類2件を終了。明日の会議資料を作ろうかと思ったが、口だけの説明でいいや、とやめる。乱流結晶のノートを書き始める。(本の原稿書くべきなのだが...)

7月に入って、夏風邪、腰痛、その他体調不良とやってきて、どうしたもんかという事態になったが、100%布団に横たわったままやっていた不規則充填(乱流結晶)が凄く楽しくなり、夏の学校の準備でやりはじめた例題が楽しくなり、なんか研究にとっては良かったみたい。不規則充填やマクロダイナミクスの導出は若いときからしたかったことで、今それができるのは大変よい。あと、若いときにしたかったことは、統計力学原理の基礎;レオロジーの物理法則からの理解;(気候などの)地球システムの物理法則からの理解;生命機能の物理法則からの理解;計算論の物理法則からの理解がある。レオロジーは今やっている諸々の延長で何とか切り込める感じがしている。50歳になって余命も意識しはじめ、地球システムはもういいかとあきらめたが、生命と計算はどこかでタイミングが合わないかな。生命は多くの人が興味を持っているから説明不用として、計算は説明しないと分かりんくいかもしれない。

計算とは、僕たちが考える規則そのものである。「法則とは何か」を徹底的に考えるころ、「「自然法則を考える」自分の思考」の自然法則に興味を抱いた人は多いと思う。僕もその問題には多いに惹かれた。計算論の基本を勉強したり、計算論と物理の接点が話題にあがると論文や本を読んだりしてきたが、研究する機会には到達しなかった。色々と遊んだことはあるが、論文を書いたことはない。計算論というのは非常に美しい現象論だと思っている。それは間違いない。計算可能性にしてもP/NPにしてもほれぼれする体系である。僕が知りたいのは、そういう現象論と物理法則の関係である。あたかも、物理法則と独立してこれらの現象論がでてきたように見える。計算可能性の立場から物理現象を議論する研究はいくつか知っているが、何というか、物理法則から計算論が自然に湧き上がるような理解があるんじゃないか、と思うのだけど、違うのかな。

ま、研究テーマは運やら流れやらがあるので、どうなるか分からん。65歳まであと15年、85歳まであと35年か...と思って、ふとそういうことを考えた。